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彼がエレベーターを出ようとしたところで、私は緊張のあまり、叫ぶようにしてこう言った。
「ねえ、名前は? あとで探せるかもしれないでしょ、君の名前」
つ、と足を止めた少年は、少し驚いたように振り向いて、それからとても嬉しそうに笑った。
ここまで笑顔なのは、私も初めて見たかもしれない。
「『エレベーター・ボーイ』でもいいよ、別に」
「だってもう、エレベーターからいなくなっちゃうんでしょうよ。最後くらい、名前教えて」
そう言うと、彼は私の手を引いて(つなげてもいないのに、本当に私は引っ張られた気がした)、とうとうエレベーターから一歩外に飛び出したのだ。
私も続いて外に出る。外の世界で少年と同じ場所に立てたのは、私の記憶するところ初めてのことだった。
「病室まで着いたら教えるよ。早く一緒にきて」
彼は私がちゃんと着いてきているのか、しょっちゅう振り向いて確認しないと不安らしい。
だけどそんなことしなくたって、強く握られた彼の手から逃れることなんてできないんだから――そう思って、私はふと改めて、繋がれた自分の左手を見おろす。
私の手が少年の右手をすり抜けているのは目で見て明らか……なのに、どうしてこんなに強く握られてるってわかるんだろう。
頭の上に大きなクエスチョンマークを浮かべながらも、まるで早回しでもしているかのように、私の横でいくつもの病室が流れていった。
「ここ」
ようやく少年が立ちどまったその病室のたった一枚はめこまれたネームプレートを見て、私は少年の顔を凝視した。
私が口を開くより先に、繋いだ手を離さないまま、彼はもう片方の手を扉にかけて、わずかに口元を上げた。
「来てくれてありがとう、かなえさん」
「え、ちょっと、」
同時にすっと彼の手で開かれる扉の向こうに、それまでの言葉をなくし、まるで吸い込まれるようにして興味津津の私は一歩二歩と進んでいく。
道に迷った者たちを正しいところへ導くようにして、白い光が病室からあふれ出ていた。
――ヒロト。
その時、誰かの声がした。
――教えるって言った、僕の名前です。
その刹那、私たちは真っ白な光に包まれる。
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