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謙信の毘沙門天への信仰は、性欲を絶つゆえ軍神の力を授けよ、という自己暗示の意味があった。そしてストイックだった。
が、義清からすれば、そのような信仰もまた、純粋ならざるものだった。
「利益(りやく)を求めて信仰するのではない。敬うがゆえに信仰するのだ」と。
義清の純粋さは、外交にも影響を及ぼしている。
信虎によって、諏訪が攻められると義清はすぐに加勢した。自ら精鋭を率い、救出している。その後、武田軍との争いが泥沼化するわけだが、義清としては頼られた以上、見捨てることができなかった。
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