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哲司と類
濱中哲司の朝は早い。
起床は毎日朝5時30分。30分以内に身支度をして遅くても6時10分には家を出る。
哲司の勤める会社は車で30分ほどのところにあるのでもう少し遅くても間に合うのだが、始業の30分前には出社して掃除をするのが哲司の日課だった。
誰かに命令されたわけでもないが、17歳から8年間、一日も欠かしたことはない。あの日路頭に迷っていた自分を拾ってくれた社長への、せめてもの恩返しのつもりだった。
平凡に慎ましく生きてきた哲司が、沙和子を家に連れ帰ったのは、魔が差した、とかそういう曖昧な理由ではなかった。
哲司は、もうかれこれ5分ほど沙和子の寝ている部屋の前で立ち尽くしている。昨日は類が沙和子を連れ回し、一度もまともに会話をしていない。一瞬目が合ったとき、沙和子は哲司から慌てたように視線を外した。一昨日の蛮行を思えば、当たり前の事だった。
思い出してため息を吐く。そして、ドアの前で立ち尽くす。ひたすらそれを繰り返していた。
もうそろそろ家を出る時間だ。深夜に帰宅したであろう彼女は当然まだ眠っているだろうし、起こすのも申し訳ないかと諦めて家を出ようとしたとき、ゆっくりと扉が開いた。
「おはよう、ございます」
驚いて振り返ると、沙和子が立っていた。Tシャツにスウェット姿だ。
「ああ、おはよう・・・ございます」
哲司はどう振る舞って良いのかわからず、思わず敬語になってしまった。
「・・・・・」
「・・・・・」
居心地の悪い沈黙が二人の間に流れる。哲司は意を決して、沙和子の前に一歩近付いた。
「・・・この間の夜は、本当に申し訳なかった」
大きな身体を曲げて、沙和子に頭を下げた。
「・・・」
急な事にどう返事をすれば良いのかわからず、沙和子は気まずそうに俯いていた。
「もう、二度とあんなことしない。許して貰えると思ってないけど、あんたに謝りたかった。ごめん」
「・・・許したら、理由、教えてくれますか」
沙和子がそう言って哲司を見上げると、今度は哲司が俯いた。
「許さなくて、いい。・・・ごめん」
二人の間にまた沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、哲司と同じ部屋に寝ていたはずの類だった。
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