彩弓

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†††  闇が世界を支配する丑三つ時。時折雲から漏れる月の明かりが照らすのも、また陰だった。栃煌市の外れ、市と市の境目の小高い林に囲まれた丘に、この世から忘れ去られたかのようにして中原家の屋敷は建っていた。  かつて陰陽師としての才を見せた中原常社、その子孫が大正時代に建てたとされている。尤も、かつての陰陽師と当時の中原家がここに屋敷を建てた事とは“一見すると”何の関わりもないように思われた。元々、中原常社は個人としてはある所まで上り詰めたものの、“魂呼ばい”を死霊に対して行うという禁忌を犯した角で、今の栃煌市まで流された。その罪と罰は家族にまで及び、中原家は“まつろわぬ民”の呪いを掛けられ、没落していったのだ。  “呪い”は一族の中でも特に霊気に優れる者に対して、色濃く表れるとも言われた。中には、その“呪い”そのものが形を変え一種の能力として芽生える者もいたが……、多くはそれがどんな能力なのかもわからないまま、「力」として生かす事無く一生を終えた。  だが、何にせよ、例外というものは存在する。例えばこの館を建てた中原雄三――彼は、自分の家に纏わる“呪い”について、研究を重ねた人物でもある。そして、今なお、陰陽師という存在が、この世で活動を続けている事を知り、彼はある事を決意した。 ――一族の復讐を  雄三は、中原家の中でも特に霊感の鋭く故に、“呪い”に最も苦しめられてきた人物だった。彼が家の事実を知り、復讐を考えたのも無理からぬ事だったのかもしれない。ただ、彼にとって不幸だったのは、この復讐計画には膨大な年月がいるということ、そして、彼の計画を継ぐ者がいなかったことである。中原家の中で、雄三は「オカルト好きの変人」と、蔑まれており、誰も彼が語る“呪い”について信じる者はいなかった。  中原雄三の死後、屋敷は誰かが継ぐ事もなく、かといって取り壊される事もなく放置された。  そして、現代――彼の遺志を継ぐ者が現れる。
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