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「いや……」と霧乃は通気口を眺めたまま、否定した。目の前でぱらりと砂が舞った。視界の隅ではペットボトルが落ちる。これは、振動。
「良かったな。千星空。相手が並の奴だったらさっきのに巻き込まれて死んでいた」
直後、天井に亀裂が生じ、音を立てて崩れ落ちる。霧乃は千星空の襟首を掴んで、後ろへと跳んだ。天井を――二階の床だ――押しつぶしながらどす黒い何かが地面に着地した。
「ひっ!!」
千星空が口を手で抑え目を見開いた。その黒い物は肉塊のようだった。幾つもの肉塊が寄り合って出来た一つの塊。人間の顔や手や足が、突き出ている。中心部分でぱっくりと大きく開いたのは口だろうか。何重にも牙が連なっており、真っ赤な舌がだらしなく垂れさがっている。
巨大な足が四本。それをあえて動物に例えるなら蜥蜴か、蛙だろうか。
「蠱毒か……。さっきの靄みたいな奴が暴走しちゃったてところか?」
「あ、あれが!? で、でも……」
霧乃の言葉に、千星空は怯えた声で反論しようとした。と、その時、コツンと蠱毒の横に降り立った影があった。誘だ――縮地を使っての瞬間移動。
「あっち行ったり、こっち行ったりと、あんたも大変ですね」
霧乃がおかしそうに笑う。だが、誘はそれには答えなかった。
「小娘、よくも……私の蠱毒を」
霊的な目で“視る”と、靄もとい蠱毒の制御は先程の呪詛返しで狂ってしまったらしい事が分かる。恐らくはこの工場の二階に蠱毒を精製した“壺”があったのだろう。靄はそこへと返された。
先程よりも霊力が増している所を視るに、“壺”には既に蠱毒に使う為の材料が新たに補充されていたのだろう。一度精製された蠱毒がそこに入ればどうなるか。
――負の気の爆発
誘が一旦、姿を消したのは靄が壺へと戻るのを阻止する為。
「……千星空さん、実戦ステップその一だ。呪詛返しは術者を正確に指定しないと、とんでもない所に返る」
霧乃の軽口に、千星空は答えられなかった。自分が他人呼ばわりされている事にも頭が回っていない。その視線はただ、蠱毒に向けられている。
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