第拾話「奪われて」

7/16
118人が本棚に入れています
本棚に追加
/216ページ
やがて一端の兵法者と呼ばれるようになったが、まだ渇望の火は消えなかった。 天下に其の名を轟かせ、剣術を究めたかに想えたが、渇望の火はまだ胸に燻っていた。 その燻りが消えるように、武蔵は画と書も嗜んだ。 それらは成程、隙のない静謐を感じさせるものだったが、何故か武蔵は納得出来なかった。 何かが足りない。 何かとはなにか? 判らなかった。 自分に足りないもの。 其れが此の時代、現代に来てお通と一緒になることで判った気がした。 自分に足りなかったものは、慈しむ心── 其れを人は愛と呼ぶのか。 喜怒哀楽を、正気を失ったお通は、何故か無骨な武蔵の側を離れなかった。 そのお通を武蔵は愛おしく想った。 大事に想った。 そう想い、武蔵は判った。 自分に欠けていた、足りないものが。 所詮、剣術も画も書も命を創り出すことは叶わぬ。 生命を生み出すことは出来ぬ。 そして、人の感情も創ることは出来ないのだ。 其れが武蔵には、お通と共に居て判った。 其のお通を護らねばならぬ。 闘いで死ねぬ。 もとより戦に於いて、生死は紙一重である。
/216ページ

最初のコメントを投稿しよう!