第参話「土方歳三 対 宮本武蔵」

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「主(あるじ)の命により、お主を斬る」 鉛のような声で、宮本武蔵は宣言した。 宮本武蔵── 又の名を新免武蔵と謂う。 江戸時代初期の剣術家、兵法家である。 自身が著した『五輪書(ごりんしょ)』の記述によると、13歳に初めて『新当流 有馬喜兵衛』に勝利。 以来29歳まで、60余回の勝負に無敗だとある。 その勝負には、有名な吉岡一門との決闘・佐々木小次郎との巌流島の決闘がある。 また、二刀を用いる二天一流兵法の開祖としても有名だ。 兵法家である一方で、現在に伝わる重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している芸術家の側面もある。 「お主、新選組の副長、土方歳三に相違ないな?」 武蔵が問うた。 「さーてね」 歳三はとぼけた。 (丸腰の者を斬るのか?)と聞くまでもなく、武蔵の必殺の剣気は歳三を捕らえて離さない。 佐々木小次郎の巌流島の決闘でも、小次郎の『物干竿(ものほしざお)』と異名を取る刀身が三尺・全長が五尺(約1.5m)に対するに、さらに長い舟の櫂(かい)を用いたと謂う。 武蔵は徹底的に現実主義で、勝算のある勝負しか行わなかった、敵より有利な状況を作る兵法家だったと謂うことだ。 斬る相手が丸腰なら尚のこと好都合、としか思っていないだろう。 むろん、歳三がそのよな弱音や請いをする筈もない。
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