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「あとは村山を説得しないとな。あのままじゃ使いもんにならないだろ」
石塚は後頭部を掻きながら、依然として涼子に寄り添っている志朗へと視線を向けた。深い悲しみに打ち拉がれているのに、立ち直れというのも無理な注文だろう。
「……俺が話してみましょうか?」
短気な石塚に任せても失敗すると考え、遼平が説得に名乗りを上げた。時間がないと急かされ、志郎へと歩み寄った。
「志朗さん」
「ああ、谷村君か」
志朗の目は酷く充血しており、その顔に生気は感じられない。ひとつ大きな息を吐き間を取ってから、話を切り出した。
「石塚さんの提案で、前川を襲って逃げることにしたんです」
「え、前川を?」
「はい。もうじき夕食を運んでくるはずです。その時に男3人で襲って、金を奪って逃げる予定です。なので協力してくれませんか?」
「……なるほど。でも僕は遠慮しておくよ。娘も妻もいないんじゃ、生きていても仕方ないからね」
吐き出された言葉には語気がなく、弱々しいものだった。
「……無理なのは分かってますけど、元気だしてください」
「僕は自分の妻を殺したんだ。のうのうと生きていくつもりはないよ」
沈黙に間が持たず、無意味な言葉を投げかけてしまった。すると志郎は、涼子の血に染まった手を見つめながら呟いたのだ。
「……涼子さんが亡くなったのは、前川のせいですよ」
「でも最終的に殺したのは僕なんだ」
悪いのは前川、それは揺るぎない事実。しかし無数にある言葉の、どの組み合わせが志郎を立ち直らせ、協力を承知させるのか、遼平には分からなかった。
「志朗さんは悪くないですよ」
有り触れた言葉が、ようやく言えた精一杯の台詞だった。それからは説得するどころか、立ち直らせることも叶わぬまま、ただ時間だけが経過した。
そして無情にもドアが開かれた。あらかじめドアの前に移動していた石塚が、姿を現した前川へと殴りかかった。転倒したら自分の番だ。遼平は固唾をのんで身構えた。
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