紅茶と本と、安らぎの場所

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時刻は真冬の十七時過ぎ。 既に陽も落ちて街灯だけが頼りの薄暗い公園に、一人で踞る男性――。 酔っ払いなら関わらない方が良いかとも思ったけれど、街灯が照らす眼鏡の横顔は少なからず辛そうだった。 このまま素通りするのも、夕飯が不味くなるだろうし……。 「あの……どうされました?救急車、呼びます?」 不審者の可能性も考えて警戒しながら声を掛けると、何かぼそりと呟いたみたいだけれど、よく聞こえなかった。 「はい?何て……」 仕方なく近付いていって訊ねると、男性は息を吐いて呼吸を整えてから告げる。 「ちょっと立ち眩みしただけなんで……もう大丈夫だから」 素っ気ない感じで答えると、男性はベンチに置いていたバッグからペットボトルの水を出してガブ飲みし始めた。 バッグの横には、書店のカバーが掛かった分厚い文庫本がある。 ゴッホのヒマワリの絵がプリントされたカバーは、確か近所の書店の物だ。 暗くなるまで、読書してたんだろうか。 改めて間近で見る男性は、まだ若いとは思うけれど、何だか年齢不詳な感じにも見えた。 短い髪は清潔感があって、少なくともホームレスには見えないけれども。 立ち眩みと言ったけれど、大きな病気の前兆だったりする事もあるとか、テレビでお医者さんが言ってた気もする。 「本当に大丈夫ですか?」 「ああ。自分の不注意だから、あんたが気にする事じゃないよ」 本人がそう言うなら、あまり口を出すのも、お節介よね。 危険な人でもなさそうだし。 「なら良かったです。帰りも気を付けて下さいね」 少しほっとしながら言うと、男性は小さく苦笑する。 「あんたこそ、夜道に気を付けなよ」 それもそうだと納得してしまってる内に、文庫本を手早く仕舞った男性は先に立ち去っていた。 警戒してたのを見透かされたのかもしれない。別に、いいけど……。 これが、彼こと本野太一さんとの出逢い。 青白い街灯の光で何だか硬質に見えたゴッホのヒマワリが、妙に印象に残っていた――。 そんな帰り道の出逢いから、数日後。 ヴァレンタインまで一月を切り、ショップでも関連商品の入荷が始まっていた。 ハート形のボックスや紙バッグを陳列棚に並べながら、レジの奥に掛けられた時計を確認する。 五時からのバイトの子が急な事情で遅れると連絡があったから、今日は閉店まで残る事にした。
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