ドキュメント

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「いや、有紗ならこう言う。ツトムはカッとなっただけだよ。わざとじゃないよ。間違っただけだよって」  電話口で良子は押し黙った。 「いいか。有紗が生きていたら、必ずツトムの傍に居ようとするだろう。それが、居ないということは、何か事情があって隠れているか、死んでるか、だ」 「何か事情って、それって」 「薬物を持ち歩いているとか」 「疑ってるんだね、鉄郎は」 「ツトムを助ける為なら、なんだってするだろう。犠牲になることだって厭わない。そういうやつだよ」  しばらく沈黙した後、小さく「最低」とつぶやいて良子は電話を切った。  恐らく、その「最低」は、鉄郎にだけ向けられた言葉ではなかった。友人なのに、少しでも疑ってしまった良子自身に対する言葉でもあったかもしれない。また、有紗の話題で妙に興奮気味であることへの叱咤だったのかもしれない。いずれにせよ、鉄郎は「最低」と聞いても何も思わなかった。最低も最高もない。自分の目の前にあるものは、全て事実だ。起こったことをただ、受け止めるだけだ。有紗の考えていることなど、どんなに事実に近くても空想でしかない。  アザだらけの有紗の死体と暮らすこと約一ヶ月。  呼吸も脈もなく、ただそこにある人形のような有紗は、鉄郎にとっては生きている有紗と変わらない。部屋にいる間はずっと傍にいて、話しかけ、世話をした。  それでも、それ以上のことはできなかった。  キスをしたり、体に触れたり。  鉄郎はそれをしなかった。  それは、ここを選んで来てくれた有紗への敬意であったし、二人の関係を壊したくないからであったし、何より、鉄郎にはわかっていた。  有紗の想いと、自分の想いはクロスすることがない。永遠に。  サンダルで近所のスーパーへ買い物に行く。日曜の晴天、あまり気分のいいものじゃない。子供がボールを蹴って遊んでいる。公園には家族連れ。穏やかな風は、通り過ぎざまに、ちりちりと胸をくすぐっていく。小銭とレシートをつっこんだジーンズのポケットが、歩くたびにジャラジャラと鳴く。野菜や豆腐、肉と醤油とパスタ。それからビール。結構重くなった。店を出る時に誰かとぶつかった。謝らなかった。  不機嫌な顔をして、何も興味のないふりをして。  本当は泣きたいくせに我慢して。  いや、本当は。  泣きたくても、泣けないくせに。
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