少し擦れた歌

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 彼は歌うのが好きだった。  みんなと合わせて歌うことによる、自分だけでは出し切れない音の深みが大好きだった。ごくたまにだけあるソロは、自分の歌声だけが響き渡るのが楽しくてたまらなかった。  そんな彼の歌を町の人々は絶賛した。  週に一度しか礼拝堂に響くことがない賛美歌。  だから人々は懇願した。素晴らしい、心が洗われるような彼の歌を毎日聴きたいと。いつまでも聴いていたいと。  そして、教会は人々の期待に応えた。彼もその決定がとても嬉しかった。  だから彼は、来る日も来る日も歌い続けた。  彼の噂は各地に広まり、色々な地域から人が来るようにもなった。  彼はますます嬉しくなり、以前より一日に歌う回数が増えても歌い続けた。  ある日、彼の町に一人の旅人がやって来た。  彼の噂はもはや国の枠を超え、絶大な人気を誇っていた。その旅人も、彼の歌を楽しんだ。しかし、それは噂ほどではないと言った。  その言葉に、教会の主(あるじ)は怒った。彼らの歌は今までも、今も、そして、これからも変わらないと。  旅人は真剣に訴えた。彼の歌は少し擦れてきている。今、あなた方には分からないかも知れないが、このままでは彼の歌はあなた方にも分かるくらい擦れてしまうだろう。  教会の主はさらに怒る。そんなことは絶対にない、と。  旅人は少し哀れみをもって彼を見つめた。そして、主に向かいなおして言う。では、もし彼の声が擦れてしまっても見捨てないで欲しい。必ず私が迎えに来ます。  そして、旅人は町を出た。  教会の主は旅人の言うことなど全く気にしなかった。  彼はほんの少しだけ、旅人の言ったことが引っかかっていた。  しかし、彼は歌い続けた。歌って、歌って、歌って――――
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