『要するに、思考に付いて』

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要するに、思考に付いて。 ――恐怖とは何だろう。怖がるのは何故だろうか。考えた事はないかね。私はこの通り、考えている。しかし考えているとは何だ。 言葉にさせず、心の中で喋る事だとすると、何も外部的な要素を持たない独り言と言えよう。完全に外部と遮断されたからこそ言えているのか。ならそもそも外的伝達方法を介する動向と照らし合わせれば完全に外部と遮断された独り言は意味がないように思える。 何故そう思うか、誰かに何かを伝える為に我々は声帯を、共通認識力も、様々な部分を進化させたが外部と遮断された独り言はその進化を衝突的に批判しているからだ。批判しているからとどうにもならないのだが、これもまた考えねば――。 道を歩く人間。思考を放棄出来ないその人間は結論と保留も、模範解答さえない疑問に、問いに考え沈む。 時間も彼には関係あるし、場所も、人がいるかいないか、どんな人間がいてどんな人間か。服装や、何をしているか。考えを止めずに、歩む事、動く事、突き詰めて生きる事、呼吸に鼓動を問う。 終わりがない思考にその人間は思考していたのだ。
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