『要するに、思考に付いて』

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――親から言われないだろうか。社会や学校、言われなかったかね。自分で考えて行動しろと――。 人間は思考する力を持っている。考え、客観的に見れる。仮定や前提を話せる。多くの人間は考えながらにして思考を放棄していたのだ。 人間の人生に於いて考えるには人生は短く長過ぎる。行く先先、事あれば、何かなくとも考えて仕舞い、保留も結論も出せない人間がもしいたならば、道を歩くのを現在止めて左右に続く道にも考える人間が生まれる。 大抵の人間はそれが出来ない訳ではなく、していないのだ。無意識にしろ意図的であろうと、考える事自体は他に得難いものだ。だが同時に左右に続く道や、一本道でも立ち止まって何も出来なくなる酷く残酷な面も併せ持っている。 人間は考えた。この道のどちらに何があり、何が起こるか。結論や保留がない思考は人間を困らせる。 人間には考えを保留する事も結論を出す方法も考えるしかない。生まれながら何も考えずに生きていたならそれはそれで欠陥だが、一つとして溢さず考えて仕舞うのも相当な欠陥だ。だからその人間は多数の人間からすれば欠陥を持つ人間だったし、不完全さが招いたこの何も出来ない無力感に理解を示せないだろう。 ――道とは何だろうか。右に曲がるとは、左とは。何故そうなるのだ。続く可能性があるのか、それともまた――。 人間は思考を止めれない。止めようと出来ない。無意識に面倒だとか、分からないからで片付けて考えるのを止めれる人間じゃない。思考が終わらない人間は言って仕舞えば極度の優柔不断さが備わっているとさえ言えるだろう。
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