第1話

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「俺には、双子の母親しか見えなかったけどな」 「芳本真理子が操っていた炎が、祖母そのものだ。重なって溜まった澱を吐き出すような炎だったよ」  森下が二本目の壜ビールを開けた。 「二人は、とりあえず村に帰った。婚約者の長野は置いてけぼりを食らったがな。近いうち結婚するそうだ。まだ、芳本は立ち直るまで時間がかかりそうだが」 「そうか」 「しかし、ゴズだのメズだのってのは何だ?」 「牛頭と馬頭は、地獄にいて亡者を責める鬼のことだ。俺は恐山へ修行へ行く前に婆さんに散々語られたが、ついに一度も出会うことはなかった。かと言って、空想の鬼という気もしない。きっとどこかにいるんだろう。生きているうちに悪行をした者は、牛頭鬼馬頭鬼が火車で迎えに・・・来たのだな」  青い炎の車でな。 「さて、俺は帰るよ」 「なんだ、もう帰るのか」  寺田は壁を伝って杖を掴むと、足を下ろして手探りで靴を履いた。 「じゃあ、またな」  振り返った寺田の、ないはずの瞼が、包帯の下で瞬きをしたような気がした。                    ほの青い海岸沿いの松の下を、白い杖頼りに歩くと、聞き覚えのある風の音が頬を掠めた。 「こんばんわ」 「おや」 「先日は、どうも」 「君は、花岡マリコ、だったかな」 「当たり」  マリコは、海風を受けて、長い黒髪をなびかせた。 「故郷へ帰ったのではなかったかな」 「あなた、ひとつだけ間違っていたから、訂正しに来たの」  寺田の右の頬に刺激が走った。鋭い刃物で切られたかのような感覚。徐々に血が滲み出る。熱い。 「父を殺したのは、おばあちゃんではないわ。私なの」  潮の香りが漂うはずの海岸に、花の香りがたちこめた。まるで香でも炊いたかのような湧き上がる臭気。 「私なの」 「黙っておいてやるよ。知られたくないんだろ、妹に」 「あなた、どこまで見たの?」 「見た? この目で何を見るってんだ」  マリコは、寺田に歩み寄ると、両手でその頬を包み込んだ。燃えるように熱い。 「見て。私の穢れた魂を」 「穢れてなんかないさ。あんたの魂は美しい。透き通る青だ」 「うそ」  寺田は頬を引きつらせて笑った。 「私、妹にはうんと嫉妬していたの。でも、もうそんな気持ちも消えたわ。邪魔者はみんな消えた」  みんな消えた。 「そういうことか」 「私は真理子とずっといっしょにいたいの。ただ、それだけ」
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