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弾かれたように顔を上げた唯の瞳が、驚きに見開かれている。
もうその顔だけで判る、クロだ。
震える指先で、唯は口元を隠す。
「木島さん、どうして……」
「俺、昨夜飲みに出かけたんだけど。仕事仲間と一緒に」
このままだと、トマトソースの匂いを嗅ぐ度に今のことを思い出してしまいそうだと思った。
トマトソースの味は嫌いじゃない。
きっとこれから一生世話になっていく味と匂いのはずだ。
身体に刻み込まれたくなくて、俺はベランダの窓を全開にした。
春の夜の風は、まだ冷たい。
ほんのりあたたかみのあった部屋は、一気に冷えていく。
そのままベランダに向かって腰かけ、煙草を咥えた。
「一緒にいたの、誰?」
「上司の、宇都宮さんて人……。
木島さん、見てたならどうして声かけてくれなかったの」
「なんでそんなことしなきゃいけないの。
……面倒くさい」
思わず鼻で笑ってしまった。
好きな女と繰り広げる修羅場だって面倒だって思ってしまう俺が、どうして唯を問い詰めなくちゃならないんだ。
いくら付き合っていると言ったって、会ってない間の行動くらい自由だと思うし。
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