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その昔、豊葦原は見渡す限りの荒れ地であった。
灰色に乾燥した大地には雨が降らず、降ってもすぐに割れた地面に呑み込まれてしまう。死せる土地だった。
当然、作物も実らず、飲み水もままならない。とても人の住めるような場所ではなかった。
ある日、西から追われるようにして一人の男がやって来た。
男には帰る場所がない。どうにかこの地で生きていけないかと、天に向かって祈った。
「どうか、水を。――実りを!」
男は早成りの作物の種を植え、毎日、毎日、祈り続けた。
やがて逃げるときに持ってきた食糧が尽き、日に日に体が骨と皮だけになっていく。それでも男は祈った。
――どうか、実りを!
すると、男の祈りは天上の神々のもとに届き、ひとりの神が自らの娘を男のもとに遣わせる。
その娘にひと目で心を奪われた男が娘を妻に迎えると、娘は言った。
「あなたが私を愛する限り私は唄います。私の歌声は父神に届き、父神はきっとこの地に恵みをもたらすことでしょう」
幸せそうに微笑み、娘は高らかに唄い始める。
とたん、男の立つ大地から小さな双葉が顔を出した。双葉は、みるみるうちに大きく成長し、両腕を広げるように枝を伸ばし、天まで届くほどの巨木となる。
さらに娘が唄い舞えば、その白銀の巨木に黄金の花が咲き、宝石のように輝く大きな実が成り、虹の滴のような種となった。
七色の種は、荒れ地にぽとぽとと落ち、次々と芽を息吹かせる。
このようにして男の大地が見渡す限りの緑に溢れ、豊かな土地に生まれ変わると、その噂を聞き付けた人が続々と集まった。
男は集まってきた人々の王となって豊葦原を治めるようになったのである。
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