第10話

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 真っ白になった頭のなかに――この部屋で初めて迎えた朝の記憶が、去来する。  あの時、槙田は言った。何でもないことのように、さらりと打ち明けた。  仁科さんが好きなのだと。満月のように欠けたところのない、誰よりも「完璧」という言葉が相応しい美貌の持ち主を、自分は想っているのだと。 「これで、納得してもらえましたか」 ――納得?  俺はへたりと座り込む。  納得、納得、と、自分の声が繰り返し、脳内で何度も何度も波紋をつくって、  自ずと、口元が歪んだ。 ――納得なんて、いくわけ、ねえだろ。 ――何で、 「……何、でだ」 ――何でそんな、冗談言うんだ。  視界が霞んでいくのを止められない。  この1週間で、俺は何度泣いただろう。一生分を流し尽くすくらいには、涙を生んでいるんじゃないだろうか。 「俺、……仁科さんの代わりになんて、なってねえし、なんねえだろ」  俺は、あの綺麗な人と比べたら、悲しくなる程に醜くて、 「支えることすらまともに出来ねえ、役立たずだし」  そのせいで、散々しがみ付いてきた日陰さえ追放され、 「ひとりよがりだって……一方通行だって分かってて、それでも好きで、……役に立ちたいって、棄てられたって馬鹿みたいに思い続けるような、どうしようもねえ、馬鹿なのに」  こんな人間に、好きになってもらえるだけの価値なんか、あるわけない。  なのに、さくら先輩、と槙田は呼んだ。  春が来る度に焦がれられる花の名は、俺なんかには勿体無いのに。 「もしも、」  槙田は笑う。 「岩武さんの才能への気持ちを、俺にそっくり移してくださいって頼んだら、出来ます?」  子供のように邪気なく笑う。  不意に、壁に引っ掛けてあった俺の鞄に視線を留めた。  無駄なのはスペースくらいの洗練された空間で、どうしようもなく違和感を放つ、使い古したショルダーバッグ。  そちらへ歩み寄りながら、歌うように綺麗な声音で、 「誰かの代わりに誰かを好きになるなんて、そんなこと、可能だと思いますか?」  ああ。  槙田はいつだって、俺の答えなんて求めてはいないのだ。
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