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眠れと言ったくせに、槙田は俺を横たえようとしない。
優しく、それでいて確かな力で閉じ込められ、俺はーー手を離しても、抱く力をきつくしても壊れてしまう、酷く脆いもののよう。
互いの体温はすっかり均されて、今はもうぬくぬくと気持ちが良い。
宥めるように背を撫でられているうちに、泣き疲れたせいか、次第に目蓋が重くなってきた。
微睡みに頭が揺れる。おねむみたいですね、と囁かれてーー年上を子供扱いしてんじゃねえ、と言い返しはしたものの、心地好さの方が勝っていた。
ただ、明かりが煌々と、眩しい。
「……ねえ、さくら先輩」
避難だ。槙田の肩に額を乗せる。
「最後の命令、聞いてもらえます?」
鼓動はとくとくと穏やかなまま。額を擦らせるようにして、頷いた。
と。槙田は僅かに身を引いた。
温もりからも丁度良い陰からも逃げられて、俺は逆光に翳ったその顔を見詰める。
槙田は瞳を隠すように長い睫毛を伏して、俺の脇腹に左手を添えた。そうして利き手だけで器用に、パジャマのボタンを外していく。
ーーなんだ。
開いた胸元から、秋のように冷涼な空気が入り込んできた。
ーーやっぱり、やんのか。
眠気にとろんとした眼で、槙田の白い首筋を呆け見る。
胸の辺りまではだけさせたところで、冷気を纏った手は左襟を掴んだ。元々サイズがあっていないから、容易く寛げられてーー貧相な肩が露になる。
指先が、首筋からつつ、と滑り落ち、
「痕を残させてください」
さらけ出された真ん中で止まった。
「ここに、俺のものだって証を」
俺は鈍い瞬きをして、
「……一生、残んのか」
彼は、まさか、と微笑んだ。
「本番を終える頃には、」
『ちゃんと、消えてますよ』。
最後の口付けが降る。
俺の唇は結ばれたまま。
槙田の唇が、儚い痕を残すのを待つ。
ーー消えてしまうなら、要らない。
目を閉じる。滲む視界を絶つ。
繋がった場所だけでいい。視覚も嗅覚も聴覚もーー今このときだけは境を失って、ただ一つの点に注がれてくれたなら。
ーーもう、手遅れなくらい、残ってる。
心の深いところ。
暗い色をした奥深く。
新雪の上の足跡みたいに、
槙田の痕が残っている。
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