最終話

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 人前で自分を偽るのは、もはや癖だ。  両開きの扉を引き、胸中に嫌悪感が滲むほど朗らかに挨拶を放った。  ロビーで手直しやら雑談やらをしていたスタッフの人達が一斉に振り向きーー刹那、耳障りな黄色い声が上がった。  マスクで顔の半分以上を覆い隠し、それでも足りずに俺の後ろに潜んでびくびくしていた二十歳の男が、比喩でなく跳ねる。  彼は恐縮しきりながらもおずおずと劇場に足を踏み入れ、腿の脇で握り込んだ手をぷるぷるさせながら、 「お、はよう、ござい、ます……!」  初々しいことこの上ない強張った声で挨拶。直後咳き込んだ。  溜め息が出るほど挙動不審だ。しかしそんなこと関係ないとばかりに、「サキちゃーん会いたかったー!」とーー確か設営部だったと記憶する男が、病み上がりの彼に飛び掛かってきた。  「いのりん先輩ぃー」と、こちらは全く所属の分からない女が泣きべそをかき、「い、岩武さん呼んできます!」と客席に飛び込もうとした衣装部の男がタイミング悪く開いた扉に弾き飛ばされた。 「咲良来たのか!?」  そう無神経な音量で叫んで出てきたのは勿論、 「岩武てめえ、気ぃ付けろこの筋肉達磨が!秀明吹っ飛んでんだろうが!!」  烈火のごとき怒りに緊張も忘れたのだろう。まだ喉が痛いだろうに激しく吠えたてた彼は、咳き込みながらも倒れ伏した男に駆け寄り、何故かゴリラ共々謝っていた。  まだ熱があることを伝えると、直ちに演出命令が下った。 「よし咲良、出来る限り大人しく座ってような。受付中もさ、問題が起こんない限り見えないところで安静にしてよう」   「は、……いや、まだ微熱があるってだけで、あとは別に大丈夫だぞ」 「もうお前の大丈夫は信じないことにした」  「岩武センセーかっこいー」と、先程抱き付くのをかわされた男が、クロークで渡す札の枚数を確認するのを中断し、天井を向いて叫ぶ。隣にいたショートカットの女がその後頭部を叩いた。  流石は強情な彼らしく、う、と唸ったきり俯いていたがーーやがてしおらしく頷き、一昨日寝かされていた長椅子の隅に腰を下ろす。  岩武さんが武骨な手でその頭を撫でた。逃れようと身を捩る姿は絶景だがーー思わず舌打ちしたくなる。
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