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目尻をほんのりと朱に染め、黒目がちの瞳は熱のせいで湿らせて――彼女持ちのゴリラなんて、誘ってどうするつもりなのか。
本当に、この人の自己嫌悪は理不尽に尽きる。
可愛らしさと艶やかさを器用に同居させた端整な顔立ち。いやに扇情的な細い腰。歯形を残したくなるように滑らかなうなじ。くっきりと浮かんだ鎖骨を今も襟元から覗かせていて、それが堪らなくエロい。
これまでだって、相対した者に散々生唾を飲み込ませてきたに違いない。凛としたその表情を崩してやりたいと、暴力的な欲望を燻らせる者だって少なくはなかったはずだ。
なぜ今まで無事だったのか、それが不思議で仕方ない。
現に、
「なんか咲良、今日はいつにも増して可愛いな……咲良不足で死にそうだったからかも」
「よくそこまで気持ちわりいこと言えるよな、軽蔑を通り越して尊敬、……っ、てめえ、まじでやめろって……!」
――真顔で「友人」の首を撫でる奴がどこにいる。
身体は鋭敏なくせに。そう、溜め息を禁じ得ない。
「……照れてるのが丸分かりですよ」
んなわけ、と俺に視線を向けたところで、彼ははっと目を見開いた。
一昨日のことを思い出したのだろう。誤魔化しておいたので大丈夫ですよ、なんて言う訳にもいかないから、俺は黙殺することにした。
楽屋に通じる扉が開き、刹那、奇声が上がる。
振り向くと衣装部の女が立っており、「いやーサキ先輩マスクに埋もれてるー顔ちっちゃいー!」と胸の前で両手を激しく振る。
彼が片手を力無く振って応じると、また騒々しい奇声を上げ――ふと思い出したようにこちらを向き「あ、槙田くんメイクするよ!」と慌ただしく手招きをしてきた。
本番だけを残した今となってはすることがないのか、演出家は変わらず彼を堪能している。彼はもはや抵抗の意思を無くして、大人しく頬を撫でられていた。
――やめさせろ。
俺は苦笑を浮かべつつ、
――出来ないなら、助けてくださいと俺に乞え。
衝動に駆られた。
彼を椅子に押し倒し、華奢な肩を剥き出しにして、昨夜のしるしを見せ付けてやりたいと。
演劇なんて興味はない。昨日2度、客を前に演じたが――やっぱり、どうでもいい。
――あんたはまだ、俺のものだろ。
――……今は、まだ。
ただ、この男が欲しい。
1分1秒でも長く、この手のなかに。
だから、その場を離れた。
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