最終話

4/28
前へ
/168ページ
次へ
 彼は演出命令を健気に守り続けた。  俺が戻った後も、用のあるなしに拘らず寄ってくる連中の相手をしながら、ひたすらに座っていた。  誰もがその場を離れ、監視する者がいなくなってもーー暖色の光に充ち、時間感覚を薄れさせるロビーの片隅で、人形のようにただ座っていた。  舞台上で衣装のチェックを済ませ、舞台袖で自分が扱う小道具のチェックも終えた俺は、楽屋を通って一人、ロビーへ出た。  怪訝そうに眉を顰めた彼は、相変わらず座っている。最後に見たときから微塵も変化なく、長椅子の隅に、申し訳なさそうにちょこんと。 「またお前は勝手に……、何か用事か?」  今は全員が客席に集まっている。衣装や小道具、舞台装置の最終確認を済ませたあと、全員で発声練習をし、あのゴリラ主導で気合い入れをするのだ。  彼も来るよう促されていたが、咳が煩いから、と頑なに拒んでいた。何を恐縮しているのかと呆れたがーーお陰で、今なら二人きりになれる。  多分、これが最後の機会だ。 「幼馴染の様子が気になって」  俺の言葉を鸚鵡返しにして首を傾げる。そんな些細な仕草まで色っぽく見えるのは、相当溜まっているせいか。  背後で扉を閉め切る。絨毯の上では、常から殆ど無いに等しい足音が消える。 「小学校の頃近所に住んでいた。俺の方が引っ越すことになって、それきり音信不通。一昨日の言い訳ですよ」 「……それでよく誤魔化せたな。つーか、てめえ何であの時、」 「不可抗力です」  頬を包み込むようにしてマスクを外す。刺すように鋭くなった視線が斜に落ちた。 「あんたがあの男に好き勝手されるなんて、我慢出来なかったから」 「な、」 「顔、真っ赤。好き勝手って言われて何を想像したんですか?」 「っ、……マスク返せ」 「嫌です。先輩の顔が見たい」  びく、と肩を跳ねさせてから、取り繕うように、ふい、とそっぽを向く。 「知ってますか先輩。あんたの顔、相当そそるんですよ」  く、と引き結ばれたその唇を、人差し指でなぞってやりたくなる  きっと、やめろ、と喘ぐような声を出す。微かに開いたその隙間に指を突き入れ、後頭部を押さえ付けて舐めさせてーー  そこで考えるのを止めた。 「可愛いし、いちいちエロい」  んなわけねえだろ。俺の声と、鋭利な彼の声が重なる。  その眼が一瞬で二倍の大きさになり、俺は、喉を鳴らして笑う。
/168ページ

最初のコメントを投稿しよう!

268人が本棚に入れています
本棚に追加