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「あんたは分かりやすい」
頭でどんなに繕おうとしたって、身体が正直だから意味がない。
恥じらいに、快楽に、律儀なまでに赤く染まる。目を泳がせたり、そわそわしたりと、わざとやっているのかと思えるくらい嘘を吐くのが下手。
馬鹿みたいに真っ直ぐでーーだから真っ向勝負しか、出来ない。
「……あんたは、綺麗だ」
殆ど独り言のような声を落とすと、きつく睨み上げられた。
揺れる瞳は、これ以上冗談を言うなと告げている。
目を逸らすついでに、椅子の半ば辺りに腰を下ろす。彼が視線で追ってくることはなく、それどころか、ぷいと後頭部を向けてきた。
橙色に染まったうなじから、抑え難く色香が立ち昇っている。
――ヤバイな。
前方へ視線を逃がした。
客席に通じる扉から微かに、指示を飛ばす高い声が漏れ聞こえている。発声練習まではもう少し掛かりそうで――いざ始まるとなれば、流石に誰かが気付いて探しに来るだろう。
オーソドックスな円形の壁掛け時計を見れば、開演まであと45分。
彼を手放すまで、あと2時間15分。だけど実質的には、あと5分あるかないか。
「……もうすぐ自由ですよ。嬉しいですか」
間髪入れずに、きゃん、と吠えてくるかと思いきや、そうでもなかった。
「……当然だろ」
答えの割りには長過ぎた沈黙の後で、響いたのは拗ねたような、
「てめえに振り回されなくなると思うと、せいせいする」
それでいて、負の感情を一切含まない声音。
――ああ。
――恨んでさえ、いないのか。
壁に凭れる。埃一つ落ちていない臙脂色の床を、伏した眼で眺めた。
彼は、自分がいま装飾品になり果てているのを、俺のせいだとは露とも思っていないんだろう。
誰のせいかと問うてみれば、きっと――悪いのは全て、受け入れた自分だと言うんだろう。
本当に馬鹿な人だ。そう、口角を捻じ曲げる。
俺はそんな馬鹿に惚れた。
そして、だからこそーー
虫唾が走るほどらしくない。この男の健気さに中てられて、俺は狂わされてしまったのか。
どうかしている。本当に。
自分から、諦めようとするなんて。
「槙田」
隣に座る男と話す程度の声なら、厚い扉を突き抜けていったりしない。
「何です」
それでも彼はーー俺に後頭部を向けたまま、なお密やかに囁いた。
「……今日まで付き合ってくれて、ありがと」
ありがと、は、さよなら、と同意だ。
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