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蒼子は直接的な被害を受けていないとはいえ、緑の絵の女は幾度も目撃しているのだ。
二人はしばらく、他愛のない事を喋りながら掃除を続けた。内容は天気の事だの、娘の瑞穂ちゃんは何が好物なのか等と取るに足らない事ばかりだ。
蒼子の顔色を横目で伺っていた祭が、ぽつりと言葉を漏らす。そこだけ小さな声でトーンを落とし、申し訳なさそうに喋った。
「まあ、今朝は旦那さん苛めてすみませんでしたね」
「いえ、悪いのは嘘を吐いていたこちらですから」
すんなりと、自らの非を認める台詞を口にされる。視線を合わせ、祭は本当に聞き難そうに口に言葉を乗せた。
「奥さん、前の奥さんの事はどう思っています」
「あら、それが聞きたかったんですか」
「はい」
互いに向き合う。左手を三角巾で吊っているからか、弱っている風情を持つ祭からは背丈の高い人物から感じ取る威圧感が少ない。
「……私は、直接お会いした事もない方ですから何とも言えません。夫には、君を身代わりの様に扱ってしまうかも知れないと、最初に言われましたけど」
「身代わり?」
「似ているんです。前の奥さんと私の姿は」
「そうなんですか」
「でも、結婚も子供も諦めていた私には、瑞穂ちゃんを残してくれた方です。感謝しているんですよ」
三笠碧と蒼子の姿が似ている事を、知っていた等とおくびにも出さず、祭はしんみりと話を聞いている。
「私、卵巣の機能に問題が有りまして、子供は授からないってお医者様にも言われていたんですよ。だから家族を持つ事は諦めていたんですけれど、今は幸せです。家族が居ますからね」
蒼子は不思議と余り他人に話した事の無い身の上を口にしていた。続く怪異に弱った心が、話相手を欲していたのかも知れない。真摯に耳を傾ける祭に静かに語る。
「素敵な伴侶に巡り合われましたね」
優しく微笑まれ、幸せそうに蒼子も微笑み返した。
しかし今は、その幸せに陰を落とす者が存在する。甲斐家に何の恨みを持つのか、守りの為の絵を呪いの道具に変え、当主である四郎児の脚を異形とし、雇われた者の命すら奪った凶悪な術。相当の恨みがあるとしか考えられない。
絵を描いた黒川一郎にも、モデルの鈴木翠にも落ち度はない。有ったとしたら、不思議な力を宿す絵を残してしまった事か。
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