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和森斗一は祭達を振り切ると、今は呪物として置かれている三笠碧の左手へと階段を駆け上がった。
腕に抱えられた瑞穂は恐怖の余り声も出せない。怯えた目で和森を見るばかりだ。
和森は階段を駆け上がる間、終始呟いていた。
「碧はオレのものだ、碧はオレの……」
狂気染みた表情には常に甲斐家の家事手伝い兼、運転手として控えめに存在していた人物としての面影は微塵もない。欲しい物をただ手に入れようとする餓鬼の如き表情だ。
色褪せた赤い絨毯の敷かれた階段を一段抜かしに駆け上がり、すぐに中程に有る踊り場で足を止める。
そこには和森が人知れず守って来たモノが有った。
小さな銀製のテーブルの上に、人差し指を天に向けて握られた蝋の艶を持つ青白い左手が有る。本物の人の手首で有ったが、実際にそれは死蝋化していた。
祭の言葉を借りるなら、数々の面倒臭い手順を踏んで作り出された呪いの品。忌むべき物であり、かつての甲斐四郎児の妻、三笠碧の盗まれた左手で有る。
一本だけ天に向かって立てられた指先に、小さな蝋燭が飾られていた。
和森の手が、それを払い落とす。
「渡す事など出来るかっ」
瑞穂をテーブル横に放り出すや否や、死蝋化した手を胸に抱いて叫ぶ。
階下から自分を追って来る足音に振り向き、もう一度同じ言葉を叫んだ。
「渡す事など出来るかっ」
「荼毘に服してやんなよ。愛していたならそうするべきだろう。死者を迷わしちゃいけないね」
現れたのは祭雲津一人。その右手には何も握られていないし、左腕は傷付いたままだ。
一人と見た途端、和森の目に邪悪な炎が宿った。
唇が、おぞましき呪いの文句を紡ぎ出す。
短い呪文が終わると共に、和森を包む周囲の空間が薄暗く澱む。
次いで、ポッ、ポッ、ポッ、と青白い燐光が現れ、暗さを増して行く空間が朧な形を生み出さんと妖しくうごめく。
「行け」
鋭く飛ぶ命令の言葉。
薄暗い空間の中、浮かぶ燐光にぬめりと朧な形が姿を現し、怨嗟に燃える瞳で祭を睨んだ。
怨霊であった。
周囲には濃密な瘴気が滲み出し、天井の照明がすうっと暗くなる。
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