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「おー、護ちゃん。おはようさん。随分遅いお目覚めだね、お昼は良いのかい?」
顔を上げた護に、丁度二階の窓を開けた花屋“蓮野(はすの)”の店主、蓮野育郎(いくろう)が顔を出す。
何時も笑顔が絶えない、陽気な薫の父親だ。
「おはようございます、育郎さん。あの、今日は約束があるので……ごめんなさい」
「いや、そういうことなら気にしないでくれ。返って引き留めてしまって悪かったね、いってらっしゃい!」
大きく手を振り笑う育郎に、護はぺこりと頭を下げて、彼に背を向けて歩き始めた。
そんな護の背に、育郎の大声が届く。
「良い忘れたけどー! 今夜はご馳走だから早く帰ってくるんだよー!?」
「……あなた、煩(うるさ)い……」
「あだぁ!?」
「……近所迷惑……」
思わず足を止めて振り返った護の目は、フライパンで頭を叩かれた育郎の姿を映した。
持ち手と白い手しか見えないが、それは間違いなく育郎の妻にして薫の母親、紫(ゆかり)の物だ。
旦那とは正反対の静かな声音は、冷たいようで何処か優しい。
お世話になっている夫婦の何時も通りのやり取りに、護は頬を緩めて前へと向き直る。
「いってきます」
そう一言呟き、護は歩みを再開した。
整備された石畳が前後に続く表通り、それを挟むように軒を連ねる様々なお店。
商店街と呼ばれるその真ん中を悠々と歩く護は、楽しげに視線を迷わせる。
艶の良い果実等が並ぶ食料品店、色彩豊かな衣料品店、薫と二人で良く入る廃品販売店……等々。
普段は活気付いている店々も、今はお昼休み。
平和な静けさに満ちた街路に、護の軽快な足音だけが響いていた。
「あっちは卵焼きで、そっちはぁ……ふふっ、サラダか。廃品屋のおじさん、体重気にしてたもんなぁ」
くるくると回りながら進む護は、商店街に舞う音を、匂いを、そして幸せを拾う。
「もぐもぐ、ごくん、ほら笑顔……いいなぁ、皆幸せそう……やっぱり食事って素晴らしい物だよ、ね?」
空に向かい呟いた護は笑みを強め、踊るように目的地へと進む。
石畳と靴底とが打ち鳴らす幸せの調べは速度を上げ、瞬く間に目的地へと辿り着かせた。
商店街の北側入口直ぐ側に居を構える、喫茶店“まどろみ”だ。
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