第3話 記憶はマル。

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「このクライアント、進捗状況はどうなってる?」 「今、提案先の部門を管掌している役員にアポ取りしています」 「クライアントの決算期に入る前に、スピード感を意識して進めていくぞ。3月に入ったら話が頓挫しそうだ」 部長とチームメンバーの会話が耳に入ってくる。それが、自分に関係ない話であると判断した千佳子は肩の力を抜いた。 会社は、コンサルティングファームと呼ばれる業界の中でそこそこ名が知られている。リサーチやイベントの主催、ビジネス・IT系のコンサルティングと扱うサービス内容は多岐にわたっており、千佳子の部署は、「アカウント」と呼ばれる営業部隊をサポートする役割を担っていた。 デパートの化粧品売り場に例えると、接客をする美容部員が「アカウント」、口紅やファンデーション・アイシャドウが「サービス」である。そして、美容部員に「このお客様は、混合肌ですよ」「この方は寒色系の色がお好きですよ」といったような情報を渡したり、「このファンデーションを売るときは、こういうトークをしてください」といったマニュアルを作成するのが、千佳子の部署だ。 そのため、資料作成や社内会議に追われる日々が多い。そして、千佳子が今取りかかっている業務も、夕方の会議に向けての資料作成だった。しかも、今日は自社の役員が顔を揃える重要な会議であり、気を抜くことはできない。にもかかわらず、先ほどから驚くほど仕事がすすんでいなかった。 「日比谷」 「はい」 チームメンバーとの会話を会話を終えた部長に呼ばれ、千佳子は背筋を伸ばして振り返る。部長はにこやかに言った。 「あれ、やらなきゃな」 「あれって…何ですか」 「あれだよ、永塚くんの歓迎会」 その一言が意味することをは何か。部長の言葉を理解するのに時間はかからなかった。それはつまり、お店探し、人数確保、会計といった幹事の仕事を千佳子に任せるということだった。 「はい…」 千佳子が消え入るような小さな声で返事をすると、部長は満足そうに頷いた。
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