第3話 記憶はマル。

10/11
前へ
/25ページ
次へ
幹事業務はスピード勝負である。面倒だからと後回しにしたことで、痛い目にあった経験が何度かあった。昼休憩が終わるや否や、千佳子は圭のデスク前へ向かった。人の気配を察知したのか、千佳子が言葉をかける前に圭が振り返る。 「お仕事中にすみません。今月の金曜日のご都合はいかがですか」 圭に見上げられるような形になり、千佳子の胸がふわりと浮いた。見つめ返すことができず、千佳子は視線を圭の手元にずらした。 「今月の金曜日…ですか」 圭の少し困惑した表情に、千佳子は自分のミスに気がついた。あまりにも用件を簡潔に言ってしまったため、圭は事情を呑み込めなかったのだ。自分の失態に、千佳子は頬のあたりに熱が集中していくのがわかった。 「あっ、ごめんなさい。あの、実は、永塚さんの歓迎会を企画していまして…。私が幹事をさせていただくことになりました」 首の後ろあたりにじんわりと汗が滲む。体温が急上昇し、頬も先ほどより熱くなってきた。この場から逃げ出したい。千佳子は心の中で叫んだ。 「そうだったんですか。わざわざありがとうございます」 「いえ…」 「今月の金曜日ですよね…えっと…今週以外なら大丈夫です」 「ありがとうございます。じゃあ…来週の金曜日を空けておいてもらってもいいですか?」 「空けておきます」 「ちなみに苦手なお料理とかあります?」 「特にないです。イタリアンでも、和でも、中華でも」 イタリアンにしよう。千佳子は心の中で即決した。イタリアンにすれば、ワインがある。部長を満足させるためには、欠かせないアイテムだった。 「じゃあ、詳細については改めてご連絡させていただきますね」 千佳子は軽い会釈をし、自分のデスクに戻ると、スマートフォンを鞄の中から取り出した。 会社から徒歩圏内であることは絶対条件のため、お店は数軒に絞られてくる。後は部署内にメーリングリストを回し、お店に電話をするだけである。 さくさくと進む幹事業務に、千佳子の心も軽くなった。ほっと一息つくと、お腹がきゅるりと変な音を立てる。レタスのせいか、安堵の気持ちからなのかわからないが、千佳子にとってはどちらでも良かった。 「あれ、日比谷ご機嫌だね」 「そうなんです」 部長の言葉に、千佳子は嬉しそうに答えた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

39人が本棚に入れています
本棚に追加