入江の憂鬱

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彼女は、毎日のように私の部屋に訪れる。 文字の手習いをしにきているのだ。 私は彼女が真剣に筆を進めるその顔を、そっと盗み見る。 伏せられた長いまつげ。 赤い唇。 整った顔の輪郭。 うなじの線。 その白い肌に触れたい、と、手に力が入る。 「うにゃっ!」 膝の上にいた鉄が、抗議の声をあげた。 ふと、その声に反応して、彼女が顔を上げてこちらを見る。 下から見上げるようにして、黒曜石のように輝く瞳で私を見つめる。 ・・・・・煩悩退散! 考えを振り払うように、視線を逸らす。 「うにゃっ!」 再び鉄が鳴き、私の腕から逃れていった。 急に寂しくなった手は、行き場をなくし、力なく畳に落ちた。
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