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僕がまだ幼い頃、下手をすれば幼稚園にさえ通ってなかった時、母は毎日僕を連れて、近くの文具店にパートに出ていた。
1980年代の、ぎりぎりで前半。多分、ロサンジェルスでオリンピックが開催された頃だと思う。
もっとも、そんなもの、僕の記憶にはない。
僕が憶えているのは、母の仕事に付いて行くのが結構楽しみだったということだ。理由は2つ。
ちょうどその頃に、第2次(人によっては第1次)パソコンブームがあった。
いや、正確には、2つまとめて『マイコンブーム』と呼ぶべきだろう。
何せ当時は、まだ、パソコンという言葉がなかったのだから。
当時の標準的な、その「マイコン」たちの性能はといえば、CPUは8ビット/16Mhz。メモリはせいぜい32キロバイト(メガではない)。グラフィックは16色もあればマシな方で、音声出力はショボい電気式オルゴール程度。
電源を入れたら起動するのは、BASICという、OSとプログラミング言語を兼ねたヘンテコリンなシステム。
外部記憶はデータレコーダーというカセットテープで、簡単なプログラムを読み込むだけで5分も10分も待たされた。
つまり、何にも使えない電卓の出来損ないだ。
その「電卓の出来損ない」に、当時の新し物好きたちが、一斉に飛び付いた。
多分、その「何にも使えなさ加減」を「何に使えるかは無限の可能性を秘めている」と誤解したのだと思う。
そして商売を生業にする人たちが、そんなチャンスをみすみす見逃すはずはない。
かくして、専門店や家電量販店だけじゃなく、一時はオーディオ店や文具店、町の電気屋さんや駅前のデパート、果てはインテリアの店にまで、その「電卓の出来損ない」どもが、商品としてのさばった。
ところがその「電卓の出来損ない」、生意気にも結構な値段がついていた。
まあ、若いサラリーマンの給料にして、大体1ヶ月分ちょっと。
自動車みたいな実用品じゃない以上、おいそれと手を出せる金額ではない。
まして、多分一番そういう遊び道具を欲しがる学生たちには、尚更のことだ。
そして多くの商店主たちも、その、お客さんに説明のしようもない商品を、仕入れたはいいが、持て余し始めていた。
ここで需要と供給が、変な形で一致する。
営業面積に余裕のある取り扱い店舗が、「ショウルーム」と銘打って、見本のマイコンを学生やマニアたちに無料解放したのである。
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