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当然ショウルームは、マニアたちの溜り場となった。店もマニアたちを大いに活用した。
当時創刊されたばかりの専門誌、「マイコン」「I/O」「アスキー」「BASICマガジン」を片手に、ゲームプログラムを打ち込む中学生。その肩を老店員が軽く叩く。老店員の後ろには、どこかの会社の偉いさん。そして店員の代わりに中学生が、熱心に商品説明を行う。
そんな馬鹿げた光景が、当時あちこちで散見された。
思えば呑気な時代だった物だ。
まあちょっと長くなったが、そんな訳で、母が働いていた文具店の一角は、僕にとっては「ツマンナイゲームがただで遊べる場所」だったのだ。
そして2つ目の理由。
それは、生まれて初めての、年上の友達だった。
名前を「かりん」さんという。
10人近く居たそのショウルームの常連の一人で、仲間内の紅一点。年は多分中学生ぐらいだったと思うが、当時の僕からは随分と大人に見えた。
ショウルーム常連のマニアたちの中で、僕はまあ、ミソッカスだった訳だが、かりんさんだけは、僕をのけ者にはしなかった。
ゲームの遊び方を教えてくれたり、アルファベットの読み方を教えてくれたり、時には散歩に連れて行ってくれたりもした。
それも、「子守り役」としてではなく、同じ趣味の仲間として。
今でもまだ憶えている。
かりんさんに教わった、「プログラム」とさえ呼べないような、BASICのプログラム。
10 FOR A = 1 TO 9
20 COLOR A
30 PRINT "HELLO WORLD"
40 NEXT A
そしてR、U、Nと入力し、エンターキーを押した時、「HELLO WORLD」の文字が9列、CRT画面に小さな虹を作った。
この瞬間の感動と興奮が、僕の将来を決定した。
かりんさんには、いくら感謝しても、し足りないぐらいだ。
だが、そんな日々は、長くは続かなかった。
ある日、手に包帯を巻いたかりんさんが、お父さんを連れて、その店にやってきた。
二人はショウルームには目もくれずに、僕の母のいるサービスカウンターへと姿を消した。
それが僕の知る、かりんさんの最後の姿。
ショウルーム常連の仲間によると、かりんさんは、遠くの街へ引っ越してしまったのだという。
かりんさんに裏切られた。
悲しみと寂しさで、僕の胸は一杯になった。
かりんさんの居ないショウルームを見たくなくて、僕は、母のパートには、付いて行かなくなった。
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