10 CLS

3/4
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
 当然ショウルームは、マニアたちの溜り場となった。店もマニアたちを大いに活用した。  当時創刊されたばかりの専門誌、「マイコン」「I/O」「アスキー」「BASICマガジン」を片手に、ゲームプログラムを打ち込む中学生。その肩を老店員が軽く叩く。老店員の後ろには、どこかの会社の偉いさん。そして店員の代わりに中学生が、熱心に商品説明を行う。 そんな馬鹿げた光景が、当時あちこちで散見された。  思えば呑気な時代だった物だ。  まあちょっと長くなったが、そんな訳で、母が働いていた文具店の一角は、僕にとっては「ツマンナイゲームがただで遊べる場所」だったのだ。  そして2つ目の理由。 それは、生まれて初めての、年上の友達だった。  名前を「かりん」さんという。  10人近く居たそのショウルームの常連の一人で、仲間内の紅一点。年は多分中学生ぐらいだったと思うが、当時の僕からは随分と大人に見えた。 ショウルーム常連のマニアたちの中で、僕はまあ、ミソッカスだった訳だが、かりんさんだけは、僕をのけ者にはしなかった。 ゲームの遊び方を教えてくれたり、アルファベットの読み方を教えてくれたり、時には散歩に連れて行ってくれたりもした。 それも、「子守り役」としてではなく、同じ趣味の仲間として。  今でもまだ憶えている。 かりんさんに教わった、「プログラム」とさえ呼べないような、BASICのプログラム。 10 FOR A = 1 TO 9 20 COLOR A 30 PRINT "HELLO WORLD" 40 NEXT A  そしてR、U、Nと入力し、エンターキーを押した時、「HELLO WORLD」の文字が9列、CRT画面に小さな虹を作った。 この瞬間の感動と興奮が、僕の将来を決定した。 かりんさんには、いくら感謝しても、し足りないぐらいだ。  だが、そんな日々は、長くは続かなかった。  ある日、手に包帯を巻いたかりんさんが、お父さんを連れて、その店にやってきた。 二人はショウルームには目もくれずに、僕の母のいるサービスカウンターへと姿を消した。 それが僕の知る、かりんさんの最後の姿。 ショウルーム常連の仲間によると、かりんさんは、遠くの街へ引っ越してしまったのだという。 かりんさんに裏切られた。 悲しみと寂しさで、僕の胸は一杯になった。  かりんさんの居ないショウルームを見たくなくて、僕は、母のパートには、付いて行かなくなった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!