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俺は、紅音さんと寝たことがない。
寝たことはおろか、キスをしたことも、抱き締めたことも、手を繋いだこともない。
自分の頭の中で何度も繰り返しているそれを、彼女は別の男としている。いつも、いつも、いつも。
ピリリリリリッ
携帯が鳴る。紅音さんからの着信だ。
手を伸ばしてから、しばし戸惑い、でもやっぱり通話ボタンを押してしまう。
「・・・紅音さん?」
「哲・・・ごめん。あたし、こんな風に電話して本当にバカだ・・・」
「・・・いいよ、きくから」
「ごめん・・・」
「浅やんはやっぱり、あたしのこと好きじゃないんだ・・・」
「でも、一緒にいたいの・・・」
電話の向こうで、彼女はいつも無防備に泣く。
こういう姿を、先輩の前で素直に見せてしまえばいいのに・・・と思いつつも。彼女が心を許せる相手は、先輩ではなく俺なんだと。そんな安心と優越感が、俺を支えてる。本当は、体も許してほしいんだけど。むしろそっちの方が、喉から手がでるほど欲しい。
紅音さんの変化に、敏感な自分がいた。先輩と逢った翌日は、どことなく艶っぽさが交じる。
わかりやすい。とても、わかりやすい。そんな彼女を見ているのは苦痛だった。でも、どこか期待もしていた。いつか振り向いてくれやしないかと。
だから振られた後もずっと、バカみたいに。彼女の傍を離れられないでいた。
永島教授の講義が終わったあと、講堂のピアノを弾いた。曲名はない、いつもバラバラな俺のオリジナルだ。
今の感情を、ねじ込む。激しい旋律が指先から迸る。
紅音さんは、俺のピアノをよく聴きにきてくれていた。きれいで優しい音だと、ずっときいていたいと、言ってくれた。
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