660人が本棚に入れています
本棚に追加
/646ページ
「楽しそうですね」
「そう見えますか?」
結城さんは私の拳をやんわりと包み、それから人差し指で、ちょんと手の甲を弾く。手品師の様に「ワン、ツー……」とは言わないけれど、それが“合図”なのだとすぐに分かった。
「私はこれから大事な記憶を消されるってのに。ちょっとくらい気を遣ってくれてもいいじゃないですか。そんなニヤニヤしちゃって」
「そう思わせてしまったのならば謝罪しましょう。申し訳ありません」
「うーん……」
結城さんは困った顔をした。心の内は多分違うと思うけど。
「花音さんは今、私に同情されたいのですか? たとえ満足出来ても忘れてしまうのに? それとも今ではなく今後?
――お望みとあらば、お目覚め後にいくらでも。まぁ、同情に心地よさを感じても、代わりに謎と不信感がつきまとうでしょうが。その際の責任は持ちませんよ」
「あっ、まってくださ」
手を開かせようとする結城さんに思わず抵抗し、力が入った。
――終わってしまう。消えてしまう。
「名残惜しい」と軽く言えるものじゃなかった。もっと、ずっと、辛くて怖く、不安で哀しくて。
足が震える。身体の奥が軋む。
痛み。重さ。
言葉や文字で表せない想い。
他人に伝えられるものではない気がした。同時に優海さんや零さんの顔が浮かんで、人は全てを分かち合えないのだと、当たり前の事を改めて感じた。
最初のコメントを投稿しよう!