小覇王の悲恋

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孫策は、孫堅の死亡と同時に廬江に逃れていたのは説明済みである。 18歳の時…。 「皖城か…!大喬とか中喬とか小喬とか可愛いんだろうなぁ~!」 「おいおい。兄貴。着くから…。落ち着いてくださいよ!」 孫策、周瑜は二人で皖城の喬玄を訪ねていた。 人格判断の達人である喬玄、または許劭に評価してもらうことが、官吏登用試験に代わる、新しい人間判断の尺度になっているからだ。 仮にいい評価なら、それだけ、名声も高くなる。 曹操はまさしくその例であった。 「喬家の娘への恋歌も創ったぜ! 聞かせようか?」 「音痴なくせに無茶しなくていいですよぉ~。 案外、いけるかもですが…。」 「だろ~!」 江南の好漢二人を、喬玄は冷めた目で見ていた。
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