イカロスの失墜

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「あれ、主役はどこ?」 これが、大ブリューゲルことピーテル・ブリューゲルの「イカロスの失墜」を一見した多くの人が抱く印象だろう。 この絵で最も大きく描かれている人物は、馬に荷車を括りつけて鞭打つ農夫だ。しかし、鮮やかな赤いシャツにワンピースの作業着を纏った彼は、観る者に完全に背を向けており、その表情は窺い知れない。 山の斜面を歩く農夫の背景には、白んだ空とエメラルドグリーンの海が広がっている。朝焼けか夕焼けかは不明だが、この農夫と画面中央の羊飼い、そして画面右下の漁師の姿からして、当時の一般庶民にとっては労働に従事する時間帯なのだろう。 画面の右側には見事な帆船も浮かんでおり、そこに視線を移動させて初めて、帆船の下側の波間に、逆さまになった人の両脚が小さく描かれているのに気付く。 これが、本来は主役であるはずのイカロスだ。画中には逸話の元になった蝋の翼もなければ、死んでいく彼の表情すら描かれていない。ただ、単に船から誤って海に落ちてもがいている人間としか見えない、ぶざまな両脚だけの姿。
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