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そうだった。この空間にもう人間はいないんだった。そもそもここは人間を人間にする施設ではないんだ。他人に見透かされないように薄い薄いオーバーレイの笑顔の貼り方だけ学ぶ場所なんだ。
だから、世界は壊れ続ける。なら、最初からなかったとしてもいいんじゃない?
私のヒエラルキーではいつだって人間が最下層。
◆◆◆
放課後の教室はまるで、夕暮れであることをひたすら強調する情景描写だった。
赤。
赤。
紅。
陽が射し、静寂が歌い、赤いペンキを少し混ぜて、まるで生きたように倒伏する述べ29名の元「生」徒たち。黒板に描いた「円環」という感想。その中心に立つ私。
私が深緑色のキャンバスに這わせた入魂の一筆は、まさに生命のビートだった。生命そのものの液体に浸したキャンバス用の筆。ぼたん色の雫を、体に、黒板に、教室にまき散らしながら筆先を走らせた。
「円環」。生命は巡り、人も巡る。終わりとは始まりの事であり、始まりとは終わりを意味している。
これは忘れられない一作だ。満足感と達成感がしみ込んだため息をひとつこぼした。無意識だった。
その時。
ガコ、と教室後部の、掃除用具入れから物音がした。
完成を待ちわびていたギャラリーが我慢の限界達し、公開前に押し寄せてきたようでもあった。
掃除用具入れのドアの向こうからずり落ちてきたのは、クラスの中上(なかうえ)さんのちょうど中から上だった。くり、とした目は瞳孔が開いていてもかわいらしかった。
なんだか低姿勢のままだと作品が見えないのでかわいそうだと思ったので、中上さんの中から下も探してあげようと思ったが、思っただけで、行動には移さなかった。
そんなことに何の意味もないことは私も知っていたからだ。
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