出廷

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 私がまだ、血気盛んな十代の終わり、テレビで流れるニュースを観ては、疑問に思うことがあった。 「被告人は犯行時、心神喪失だったのです。罪の意識も、犯行の記憶もすらない者を、犯罪者として裁くことはできないのです」  さて、心神喪失であったか否かは、理論上本人しかわからない。それをどのように立証するのだろう? 極めて狡猾な殺人鬼でないと、誰が保証してくれるのか。  百歩譲って、被告人が心神喪失であったとしよう。それが何になるだろう? 犯行に至る過程など知りたくもないが、人間の命を奪うことに、意識と記憶を有さない者を、無罪放免など、以ての外であろう。無論、そんな者は、しかるべき施設で余生を過ごすだろうが。  裁くべきは、「事件」か「事故」の違いのみでいい。それであれば、客観的事実や、状況証拠で立証できるだろう。人間の内面という、不可侵なことのために、未曾有の年月を掛ける必要もない。「日本の司法制度には欠陥がある」と、一人嘆いていた。  ……、一瞬恐ろしい考えが浮かんだ。もしかしたら、今の科学力ならば、人間の内面を覗けるのかもしれない。それ以前に、私の周りにいる「奴ら」の中に、そういった能力を持ったものがいない保証はないのだ。 「鬼千(おにち)さん?」私を呼ぶ声がする。私の弁護人だ。  あれからどれほどの月日が流れただろう。ここにカレンダーはない。暦を忘れないように努めてきたのだが……。  人類未曾有の世界大戦が終わり、裁判制度は大きく変わった。一時間ほどの略式裁判で、全ての判決が下される。控訴も上告もない。三審制は消滅した。  複雑な気持ちだ。あの頃の私ならば、文字通り小踊りして喜んだ制度だろう。だが、裁かれる側となった今は、不満が残ってしまう。  いや、その考えは傲慢かもしれない。この荒廃した世界で人間が生きてゆくには、その数が多過ぎるらしい。従って、戦前に罪を犯した者、素行不良の者、何ら卓越した能力を持たぬ者は、順次拘留された。必要である人間と、そうでない人間を分けるために。
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