出廷

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 今度は私が、後ろを振り返った。目が合った弁護人の表情が醜く歪む。こいつの表情を読み取るのはとても難しい、だが、どうやら笑顔のつもりだろう。実に不愉快な奴だ。  こいつが私の弁護人を買って出た時は、恐らく名誉欲のためだろうと思った。私のような特異的な被告人を弁護することで、あわよくば名声を得ようとしていると。この弁護人の場合は特に、自身の社会的地位の向上が第一だと、推察できた。  しかし、拘置所で何度か面談をすると、私は考えを改めざるを得なかった。驚いたことに、こいつは心底、私が自由に暮らせるようになることを望んでいるようだった。もしかしたら、私は既に、こいつの弁に惑わされ、そう思い込んでいるのかもしれない。  だが、こいつは過去の面談から今に至るまで、私の喜怒哀楽に対して、敏感に反応する。そして、少しでも私を喜ばそうとしている。弁護人とは、そういうものなのだろうか?  その執拗さは、医大生時代に、どこまでも復縁を迫ってきた女性に似ている。私から交際を絶ってからも、毎日のように付き纏い、電話や手紙が絶えることはなかった。あの女も、この弁護士も、まさに狂気だ。 「着きました」私と弁護人は、同時に足を止めた。「この部屋です」  さて、最初で最後の裁判だろう。この弁護人は一番最初に、私に断言した。「絶対、自由な身にさせる」と、顔中から汚らしく体液を滴らせながらだ。感情が高ぶったためだろうが、あれは汗なのか? 涙なのか? 鼻汁なのか? 全てが混ざったものなのか? それとも別の、何か特殊な汁なのか。 「鬼千さん、絶対大丈夫ですから! さあ、入りましょう」  私は弁護人の顔を見ずに、法廷の扉を開けた。  恐らくあの時のように、見るに耐えない表情だと思った。
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