一.

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 唯一、彼を男として好いていた女、それこそが、向かいに住んでいる染(ソメ)という婆さんである。  子がなく、連れ合いを十年ほど前に亡くしたこの婆さんだけは、どういうわけか錠太郎をせんせ、せんせ、と呼んで慕い、事あるごとに煮物やら団子やらを届けたり、襟巻きを作って贈ったり、シャツやら羽織やらの綻びを繕ってやったりしていたらしい。  近所の者ら曰く、白粉をはたき紅を指して錠太郎の元へ出掛けるお染のその目はきらきらと輝き、頬は紅潮し、まるで初めての恋をした若い娘のようで、相当に惚れ込んでいる様子であったという。
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