第9話

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ただの一度も、都季のことを忘れたことは無かったのだ。否、忘れたくても忘れられなかった。 しかし、こちらがそうであるにも関わらず、あの娘は澄ました顔で、どちら様かと訊いてきたのだ。 ああ、思い出しても腹がたつ――。 格子の向こうでは、都季が現れないのを下男に愚痴っている男がいる。 下男は、しきりにこちらの様子を窺っている。都季が来るのを待っているのだろう。 毬子は静かに目を閉じた。 深く息を吸った。 仄かに白檀(びゃくだん)の香りがする。昼間のうちに部屋付きが、着物に香を焚きしめたのだ。 強ばっていた肩から、ゆるりと力が抜けていった。 もう、都季に悩まされることは無くなるのだと思った。 「失礼します」 ふと、斜め後ろで声がした。 障子を開けて入ってきたのは、唐紅の長衣をまとった都季である。
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