序章 ~始まりの夜は絶望の蜜の味~

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 揺れるロープは、まるで本当に急かしているかのように、暗闇の真ん中でゆったりと待っている。そいつは聖母のような悪魔の顔で、全部終わらせてやるよと言っているように感じた。  彼に仕事を依頼して、あっという間に終了して、かれこれ丸一時間が経つ。諦めていたはずの人生なのに、仕事を終えた代価を払うのが、今更ながらに恐ろしくてたまらない。  荒れる呼吸。冷たい酸素が肺を凍えさせる。けれど頭は全く涼しくならない。    思えば、なんてあっけない幕切れだろう。人生に希望を抱いて、やっと活路を見つけたと思っていたのに、そのゴールテープを切ったのは絶望というあまりにも憎たらしい存在。そいつだけが盛大に賞賛され、タッチの差で崖下に落ちて失格した奴に、憐みの目を向ける輩は誰一人いない。所詮、それが終わりの瞬間というものなのだ。実に、哀れで滑稽な三流舞台だった。  しかしそれももはや閉幕時間。落胆のため息とともに、『人生』というほんのちっぽけな劇場を爆破解体で粉微塵、というわけだ。 なんて、なんてあっけない。 あっけない、のだが。  導火線に火を灯す事を出来ずにいるのは何故なのだろう。今の今まで味わってきた人生舞台が、どんなにかつまらなく下らないものかなど知っているはずなのに…… どうして……『何か価値のある人生だったはず』……だなどと、思おうとしているのだろう。  それは、恐れが故にではなかった。それだけは理解している。けれど、それ以外に思い留まろうとしている理由が、解からなかった。  どうすれば良かったのか……どうしなければいけなかったのか……眠れぬ夜を何度も繰り返す中で、そればかりが頭を支配して、今もずっと吠え立てている。  五月蠅い……そんなもの、こっちが知りたいくらいだ。きっかけさえあれば、何か変われるかもしれない事くらいわかっているさ。けれど、でも、何をどうやったって、今日というこの日を迎えるまで、そんなものは手に入らなかったじゃないか。  嗚呼畜生くそったれめ。神なんて随分前にその存在を否定しきったが、ほんの少し、その思いに甘えて背いた自分が情けない。やはり神なんて…… 「神様なんて居やしないじゃないか……きっかけなんて……どこを探したって見つからなかったじゃないか!」  たった一人の部屋の中、弱い弱い負け犬の、か細く擦れた最後の遠吠えが響いた、その刹那。
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