学んでも

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王余魚沢という名前はいつ誰が名付けたのは定かではない。 それも藩から県に変わる折に名乗りだしたというのだが、なぜ読みづらい王余魚沢にしたのかも集落の者は知らない。 また、ひでが通う小学校は王余魚沢小学校と言い、もうすぐ開校百年を迎えるがもともとは水沢分校という名前であった。 開校当初は生徒数百人を超えていたそうだが、ひでが入学した時点で全校生徒数は十八人である。 それらは王余魚沢小学校の教室に置かれた本棚にある王余魚沢小学校の資料を読めば誰でも解ることである。 ひでを含め子供たちは漢字を学び始めた辺りから王余魚沢の名前を疑問に思うのである。 当然だろう。王余魚沢という言葉はいくら漢字を学んでも調べてもそれに至る答えは出ないのだから。 子供たちの親も困ることだろう。子供たちになぜ「かれいざわ」と読むのかと問われてもその答えが返せないのだから。 子供たちがそういう疑問を持つことに当時の校長は目を付けたのだろう。
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