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洒脱な喋りが、疑う隙を与えなかったのである。
栄太郎は、13歳と16歳のとき参勤交代に随行して江戸にのぼっていたこととにくわえ、生来の器用さと都会への憧憬が彼の言動を洗練させていた。
もっとも、松陰はこのことを、
『栄太の見識は、高杉晋作に似ているが、小才があるのが欠点だ。そのぶん気骨がない』と、評していた。
が、栄太郎は気にせず、その小才を活かして、江戸のあらゆる情報を収集して、松陰に送っていた。いわゆる、飛耳長目という、松陰の思想であり、教育である。
塾生の観察力を鍛え、情報を要約させ、知識を見識まで高め、しかも己も有益な情報を得ようというのが、松陰の考えだった。
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