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松陰が主宰する松下村塾で、栄太郎とともに、『三傑』に並称される久坂玄瑞、高杉晋作も江戸にいた。
医者の身分の久坂は、村田蔵六のもとで蘭学を学んでいる――というのは、うわべだけで、実際は西洋の原書に手を出し、兵制、政治の研究をしていた。
『急あれば、大事を成せるだろう。急なければ、神医となる。名医とはならぬ』と意気込むだけあり、かなり成果をあげていた。
一方、藩命によって遊学する晋作は、さほど学問には熱が入らず、剣と酒と詩によるだらけきった生活をしている。
この日、酒にさそった晋作は、「俗物しかおらぬ」ともらしていた。熱心な松陰の手ほどきをうけたあとでは、天下第一の昌平黌(しょうへいこう)の学問すら生ぬるのだ、と劣等生のくせに豪語する。
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