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待って。待って。
これジャージ。これジャージ。大切なことなので二回。敢えて二回。
どんなに劣悪な環境で育ったデリヘル嬢でも流石にジャージは知ってるでしょ、え、知らないの?
これは彼女が全力でふざけているのか、それともあたしがカルチャーショックを受ける場面なのか。
この無邪気すぎる笑顔の前には判断が付きにくい。
「え、あの、ジャージってご存知です?」
「じゃ、?」
恐る恐る聞くと、有る意味予想通りと云うか、なんと云うかの答えが返って来た。
駄目だ、やっぱり音夏さんは天然だ間違い無く!
「ね、」
慌ててしっかり者の君菊さんに問う。けど、彼女は焦点の合わない目であたしの周辺の空気を見つめるばかりだ。
あ、と雪代ちゃんが何かに気が付いたような顔をして、君菊さんの袖を引く。
「姉はん、呼ばれてはります。」
「え、うち?ああ…、」
君菊さんは小さく肩を揺らして、それから手探りであたしの所まで這い寄ってジャージを触る。
「き、君菊さん?」
急に触られるとは思ってなかったから、驚いてそう呼びかけると、彼女はふと何かに気が付いたような顔をして、それから困ったように笑った。
「えろうすんまへん。うち、目ェが見えんのどす。触らんと何の話をしてはったかも…。」
「え、何も見えないんですか?」
失礼は承知で聞いてしまった。
こんな所には居るけど、この人たちはとっても良い人だと思う。心の綺麗な人だと思う。もし何か助けられる事があるなら助けてあげたい。
確か、父さんの友達に腕の良い眼科医が居たような…。家に帰って伝えたら彼女の治療をお願い出来るかもしれない。
「うちのこれは生まれつきどすねん。」
「あ…、」
此方が驚いてしまうほど美しく、儚く、悲しく微笑んだ君菊さんに、あたしは彼女の悲しみを垣間見てしまった気がする。
聞くべきでは無いことを聞いてしまったかもしれない。
「あの、ごめんなさい。余計な事を。」
「ええんどす、うちは今幸せどすから。」
咄嗟に謝ると、君菊さんは悲しみを覗かせない幸せそうで、ただただ美しい笑顔を浮かべた。
________この人も、苦しみを乗り越えた人だ。
そう、思った。
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