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「此処に、誰一人として平穏な人生を送れたモンは居らんのよ。」
静かな声で、音夏さんは訥々と話し始める。
そうして穏やかな声で語られたのは、まるであたしには想像も出来ないような凄絶な皆の生い立ちだった。
音夏さんのお母さんは、やっぱり島原の芸妓だったんだそうだ。でも望まない客との間に子供が出来てしまって、そして生まれたのが音夏さん。音夏さんのお母さんは絶望の果てに足抜けをしようとして、けど捕まって折檻の果てに亡くなったそうだ。
音夏さんは廓の中で美しく育って、たったの十四歳で、その、始めてお客を取ったらしい。
そして今二十五歳。十一年もの月日をこの艶やかな檻の中で過ごした。
君菊さんは何処かの田舎の豪農の沢山の子供の中の娘として生まれたらしい。けれどある年例を見ない凶作に見舞われ、目の不自由だった彼女は先に死んで行った兄弟を覗いて一番最初に口減らしに出されたそうだ。親戚の家に少しの間預けられるのだと云い聞かされて。
遊女達が寝起きをする置屋に連れて来られたばかりの君菊さんの様子は十年以上経った今でも鮮明に思い出せるらしく、音夏さんは痛ましそうに話した。
そして音夏さんの禿になった君菊さんは、ただ只管に芸に磨きをかけ、美しさに磨きをかけ、やはり十四歳で突き出されたらしい。
あの雪代ちゃんですら。彼女は江戸のやんごとなきお武家様の側室の子として生まれたそうだ。
けど中々子供の出来なかった正室に、母親諸共その存在を疎まれた。そして暗暗裏に放たれた刺客によって雪代ちゃんのお母さんは殺され、彼女自身も足に深い傷を負ったそうだ。
実の母と云う後ろ盾を無くした雪代ちゃんは、まだ物事の善悪も分からない程幼かったのを良いことに、正室によって女衒に売り飛ばされた。
そして、今や太夫に次ぐ天神となった君菊さんに拾われて禿になったと云う話だ。
歴史小説とか時代劇を見て居た気分だ。
余りにも重たいそれの連鎖に、あたしはただ音夏さんのその苦労を感じさせない美しいかんばせを見つめた。
_________と云うか、やっぱり此処、ただの風俗店じゃない。
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