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インフルが猛威を振るっていた。12月の第2金曜の時点で1年3組から出た犠牲者は4人に上り、しかもうち3人が運動部所属の男子というありさまでまさに鬼の霍乱の様相を呈していた。そんな中、よりによって迎えてしまったのが1年・2年合同の陸上競技大会である。結果は全16クラス中15位。惨敗だった。
それでも序盤は健闘していた。戦力となる手駒の限られた中、100メートル走など短距離のトラック競技や走り幅跳びなどで、杉本くんがまさに八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せたのである。「腐っても元野球部」と彼は賞賛された。が、それはあくまで序盤に限った話だった。中盤になると、まるで別人のように彼は失速しはじめたのだ。そして午後、大会のクライマックスとなる男子2000メートル走のさなか、全行程の3分の1にも満たない地点で彼は倒れた。それも、まるで銃で撃たれたかのようにバッタリと。当然、競技は中断となり、人だかりができる中保健委員に担架で運ばれる騒ぎとなった。こうして大会が終わり下校時刻を迎えた頃、保健室に青ざめた瑞希さんが姿を現し、このバカっ! と開口一番ベッドでうなされている彼をなじった。どうやらけさの時点で彼には38℃近い熱があり、競技は見学するよう命じていたらしいのである。彼がバッタリ逝ってしまったのは気力という気力を使い切った結果にほかならなかった。それでも最下位を免れたのはその序盤の活躍の成果であり、ブービー賞として与えられたトイレットペーパー1クラス分(35ロール)はすべて彼の物となった。
一方、元陸上部という肩書きを持つわたしはといえば、全体的に惨憺(さんたん)たる結果しか残せなかった。100メートル走ではスタートダッシュでいきなりこけて最下位、ハードル走ではハードルを5台倒すという記録を生み出し観客の嘲笑を買う始末。「参加することに意義があるんだから」とナカちゃんに励まされてはますます悲しい気持ちになった。そんなありさまだから、大会最後の競技である女子1500メートル走でわたしに期待する者など皆無だった。おまけにクラスの順位はこの時点でほぼ確定していたため、わたしに与えられた役割はさしずめ敗戦処理にすぎない。「がんばれよ須藤ちゃん」「杉本の骨拾ってやれ」といった声援はもはや社交辞令以下の空虚な代物にしか聞こえなかった。
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