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「もう、いいよ。とにかく、なんか食べよう。お腹すいちゃった」
と、紗江は典子に背を向けて言うと、部屋を出てキッチンに向かった。
共働きの両親は、まだ帰ってきていない。
すっかり冷え切ったキッチンでやかんを火にかけると、湯が沸くまでの間、リビング中のカーテンを閉めて回った。
窓の外は、なんとか雲にしがみついている最後の太陽の光が、わずかに残っているばかりだ。
その光さえも、もう数分もすれば完全に暗闇に取って代わられるのだろう。
そのまま切り取ってしまえば絵画にでもできそうな金色の雲に目をやっていた紗江は、ふと思いついて、ベランダへと出た。
いつでも出られるようにと置いてあるサンダルは、文字通り凍りつき、足元から体温を奪っていく。
まるで氷のようなそれを我慢しながら、彼女は出来るだけ物音を立てないように柵へと身を寄せた。
下を覗き込むのを恐れるかのように、ちょっと離れた位置から、爪先立ちになって階下の様子を窺う。
ただ、ちょっと。ちょっとだけ、男がまだそこにいるのかどうかが気になってしまったのだった。
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