518人が本棚に入れています
本棚に追加
/136ページ
「よう」
男の声が聞こえた時、紗江は、まさか自分に話しかけているのだとは思わなかった。
彼女は手にしていたプリントを熱心に読み、その周りのことには注意を払っていなかったのである。
だから、足元に積まれた雪の固まりに足を突っ込んで、危うくひっくり返るところだった。
が、間一髪で腕を支えた男の手によって、悲惨な事態は免れた。
「ばか。なにやってんだ。転ぶぞ」
男が言った時でさえ、紗江は慌てて頭を下げたものの
「すみません」
とだけ言って、通り過ぎるところだったのである。
「行っちゃうのかよ」
と、男が言うのを聞いたときになって、ようやく彼が昨日マンションの前で会った男なのだと気が付いた紗江は、口をぽっかりと開いた。
「なに……してるんですか?」
「なにって」
男は意地の悪い笑みを浮かべてから、ゆっくりと紗江の前に回った。
「『お前を待ってた』って言ってほしい?」
最初のコメントを投稿しよう!