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「そう言って欲しいんじゃなかったの?じゃあ、何を求めてたわけ?」
淡々と話し続ける彼に、紗江は口も利けないでいた。
その代わりに、典子は肘でさえを突っつくと、小声で言った。
「ちょっと、チャンスじゃないの!?」
「そんなんじゃないでしょ……。だいたい、なんで急にこんな展開に……。
もう、早く帰りたい」
紗江としてみれば、本音である。
ただの冗談が、どうしてこんなに大事になってしまったのか、なにをどこで間違えてしまったのか、考えても分からない。
だいいち、目の前の男はどうして、そんなことを言い始めたのだろうか。
自分達が悪かったと思わないでもなかったが、からかわれていることに怒りをおぼえずにはいられなかった。
「すみませんでした。全部、冗談だったんです。
本当にごめんなさい」
と、紗江は早口に言って頭を下げた。
「典子、行くよ」
「え、だって……いいの?」
「いいから」
不満そうな顔をしている典子を無理に引きずって、紗江はエレベーターへと乗り込んだ。
振り返ってみると、まだ男はガラス扉の向こうから、こちらを見ているのが分かる。
が、すぐに閉じたエレベーターの扉が、彼の姿を消し去ったのだった。
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