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その瞬間、男の目が眇められた気がした。絢人は男の視線を真っ直ぐに受け止める。男の目に映る自分を想像した。やわらかな黒髪と、長い睫毛が目元に落とす影、うすい唇。
「どうして? 女には興味ないのか?」問うてきた男の声は少しかすれていた。
「ええ、まあ」絢人はそれだけ言うと、ちょっと失礼します、と言ってカウンターの反対側の客の様子を見に戻った。初老の常連客が帰るのを見送り、中年のカップルの(ただし主に女の)話に耳を傾けながら飲み物のお代わりと雪の日だから特別にサービスと言ってチョコレートを出してやる。
それから男が座っているカウンターの側に戻り、男の正面から体一つ分離れたところでジュースなどの賞味期限用のシールをかいていると、意を決したように男が声をかけてきた。
「仕事は何時に終る?」
その言葉を聞いた時、絢人は目の前の男にほとんど感謝さえした。
「良かったら、この後一緒にどこか飲みに行かないか」男は続けて言う。
「…いいですけど、空いてる店なんてあります?」絢人は声に感情が含まれぬよう、注意深く答えた。でも、声はところどころ欲望でかすれていたかもしれない。
「ああ、近くに空いてるとこを知ってる」
どうか今晩だけ、自分を喜悦の淵に連れやって、ぐっすりと眠らせて欲しい。絢人は目の前の男にそう願った。こういう時の夜がどんなに暗くて長いかを絢人はこの半年でいやというほど学んだ。
「いつもだと十二時までですけど、今日は雪でお客様があまりいらっしゃらないと思うので、もっと早めに上がれます」
「わかった。そこは朝まで空いてるから大丈夫だ」
飲むのはすっとばしてホテルに直行しても良かったが、絢人は男の手順に従おうと決め、控えめな笑顔で返した。
「楽しみです」
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